人生には運命とも呼べる出会いがあり、
それは、神のみぞ知る。
ゴスペルを唄い、日本中に出かけた。
そのひとつに、山口のまちがあった。
コンサートの舞台で、
山から運んできたばかりの、
見事な“もみの木”と出会った。
この瞬間、私は新しい運命の入り口に立った。
何がどう始まるのか、誰も知らない。
いつもの様に、ただただ、この身を任せた。
私は、その昔に生きた山口の当主大内義隆の、
大きな愛の渦に巻き込まれる事になった。
子供の時分、私が何かで苦しんだりすると、
母は私の心の奥の薬箱からある言葉を取りだし、
まるで煎じ薬の様に、噛み砕き、
私に説き明かせてくれたものだ。
苦しむ私に、母はゆっくりと、
受け入れる優しさ、
思いやる強さ、
許すという忍耐を、
手を替え、品を替え、話してくれた。
その度に、心が溶けていく、
柔らかな気持ち良さを覚えている。
私は大内義隆のお話を耳にした時、心にスイッチが入り、三つの言葉が懐かしく浮かんだ。
受け入れる、
思いやる、
許す。
戦乱の時代に、異文化、しかも宗教というデリケートな事を受け入れたのは、大内義隆の気高いホスピタリティがあったとしても、大変な決断と行為であったに違いない。どんな政治的な駆け引きがあろうと、あの時代にも、山口に流れていたものは、澱みのない大きなホスピタリティだったのではないか。
愛という、それまでの日本人にはなかった概念は、
時を経て、何世紀もの後に、私達の魂を育て、いまに至る……。
そして紛れも無く、その魂こそが、後に長州人の国を動かすという、
とてつもない人間達を生んだのだと、私は想う。
次世代の子供達が、
今までよりも更に、強い意志と優しさをもち、
何処までも未来が広がるように努めていきたい。
私達は大内のお殿様から崇高とも呼べるミッションを頂いているのだと考えると、いつも背筋が伸びる想いがする。
と同時におおきな感謝が生まれる。
山口KIZUNA音楽祭 総合アーティスティック・ディレクター 亀渕友香